Tシャツのソデを折る人たちの一軍感。
夏になるとTシャツの人が増える。
Tシャツの着こなしは2パターンに分かれるすなわち、袖を折る人と、折らない人だ。
Tシャツの袖を一折りしてる人はだいたいが陽キャである。しかも、あえて何も考えてない風に折ってる感じが一軍ポイントを高めている。折ってませんよ~という顔をして折っているのだ。

あれはなんなんだろう。
「袖を折ることで腕まわりのシルエットがスッキ
りして見える」みたいなファッション的合理性もあるんだけど、そういう理屈じゃなくて「なんかこうしたほうがカッコいい気がする」という無意識の自が滲んでる。
しかも折るのがだいたい1.5回。2回は折りすぎ、1回だと足りない。絶妙な1.5 回。この1.5回折りのさじ加減ができるかどうかで人生の階級が変わるから不思議だ。
高校時代、教室の男子にTシャツの袖を折ってる人がいた。
あれはたしかにあっち側の人だった。スポーツもできて、話もおもしろくて、なぜか年上からも年下からもウケがいい。性別の垣根なく友だちがいて、学校祭でちょうどいい感じでハジけることができる。袖を見るとさりげなく折っているのだ。
なぜだ!オシャレだ!
あれは誰が教えたのだろう?
「Tシャツの袖は折ったほうが腕が綺麗に見える
上とか「二の腕のラインがきれいに出るよ」とか。

マジで誰が教えたの?誰?彼らはそんな理屈を知らなくてもなぜか折ることが正解だと知っていた。なんで?私は知らないのに!
愉快なことに彼らはシャツの袖を折っていることを忘れている。折った袖のまま休み時間にバスケをして、笑って、売店でパンを買っている。
そのあまりの自然さに高校時代の私は何度も圧倒されてきた。もちろん私は恥ずかしくてシャツの袖が折れなかった。あたしゃ折れないよ。
30歳を超えて道を歩いていると、やっぱりシャツの袖を折っている人がいる。
そのたびに私は「お前はどっちだ?」と心の中で尋ねる。
つまり純正の袖オリストか、はたまた大人になってから「あ、あの頃はできなかったけど、今ならできるもんねー」とちょっと勇気を出して袖を折っている人なのか。
本当は話しかけて「袖。折ってますよね。それ、いつからやってます?」とでも聞いてみたい。でも聞けない。あぁ、聞きたい。
もちろん今の私はシャツの袖を折っていない。
折りたいなぁとは思っている(照)。
そういうことを考えながら、映画の宣伝のために空港を歩く長澤まさみの写真を見てみた。白い美しいシャツの袖は……お、折られていない!むしろ折らずともその丈感がちょどいい!
そういうことを考えながら、練習に励む大谷翔平の写真を見てみた。青シャツの袖は……もちろん折られていない!ピッチピチだ!
本物は折らない!
よし!俺も折らない!お~ら~ないっ!
丈感がすでにちょうどいいものを選んでいるので折る必要がないんだ!よ〜し決めた!これからもシャツの袖は絶対に折らないぞ〜!
おーーーーつ!
本当は折ってみたーい!
